日本の世界一を色々見ていて目にとまった遭難死者が最も多い山、谷川岳。
谷川岳は群馬と新潟の県境にある三国山脈の山で、日本百名山のひとつ。頂部は二峰に分かれており、それぞれトマの耳(標高1,963m)、オキの耳(標高1,977m)と呼ばれる。元来この山はトマ・オキの二つ耳と呼ばれ、谷川岳の名は隣の俎嵒(マナイタグラ)に与えられていた。しかし、国土地理院の5万分の1地図の誤記のために、トマ・オキの二つ耳が谷川岳と呼ばれるようになってしまったのだという。
一ノ倉沢などの谷川岳の岩場はその険しさから剱岳・穂高岳とともに日本三大岩場の一つに数えられ、ロッククライミングのメッカとなっている。また、山麓はスキーのメッカでもあり谷川岳天神平スキー場は関東でも有名なスキー場のひとつ。

谷川岳の標高は2,000mにも満たないが、急峻な岩壁と複雑な地形に加えて中央分水嶺のために天候の変化も激しく、遭難者の数は群を抜いて多いのだ。1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2005年(平成17年)までに781名の死者が出ており、この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録としてギネス認定されている(ちなみに、8000メートル峰14座の死者の合計が637名)。1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断、遺体を収容したこともあったらしい。又、一ノ倉沢で1943年(昭和18年)9月8日に、2人の登山者が絶壁の岩場で遭難死。しかし遭難場所が判らず行方不明として処理され、遺体はそのまま岩場に放置された。30年後の1973年(昭和48年)5月13日に、偶然この場所にたどり着いた登山者が白骨化した遺体を発見。ポケットに残されていた10銭硬貨や過去の記録から1943年の遭難者と判明したということもある。

谷川岳の気象の厳しさから標高1,500m付近が森林限界となるために比較的低い標高でも高山植物が観察でき、首都圏から近いこともあって多くの登山者が訪れている。中には気軽に訪れる者も少なくなく、急激な気象の変化による遭難が後を絶たない。こうしたところから、谷川岳は「魔の山」とも呼ばれている。
posted by 情報商材判定マスター at 17:22
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